ティリエの話によると、ここ、イラニドロは首都ラティパルから随分離れた小さな村らしい。
村人はほぼ自給自足で協力しあって暮らしてるんだとか。たくましいもんだな。
小雨は休む理由にならないのか、薪割りだの収穫だのに勤しむ男達を途中何人も見かけた。

「ねえ、本当に何も覚えてないの?」

隣を歩くティリエがこちらを見た。俺は首を傾げてみせる。

「何を?」
「何をって…。…やっぱりいいわ」
深く追求することなく、ティリエは再び前を向いた。

「よく考えれば、覚えてることだってあるぜ?簡単な挨拶の仕方。食物の食べ方。あとは本の上に座るのは如何なものかとか?」
「・・・うるさいわね」
睨むと思った。単純だな。
口元がゆるみそうになったのを押さえて、俺が謝っていた時だ。

「ティリエ?今日はなんだい?」

向こうから体型のいい女性が近づいて来た。片手には大きな包みを抱えている。
「あ、メヤリおばさん」
「また何か手に入ったかい?」
「ほら、今日はこれよ」
ティリエは得意げに革袋を見せた。メヤリは中の獲物を見て、にこりと笑った。
「ひどいでしょ?」
「はは、これはひどいね。よくて200エルバってとこさ」
「いいわ、200エルバで」
メヤリは革袋を受け取ると、ポケットからコインを出してティリエにやった。
あっという間に俺の剣は金に化けた。

もの珍しそうにしていた俺を、メヤリはまじまじと見た。
「で、あんたは?見かけない格好だけど…ティリエ、恋人でもできたのかい?」

見かけない格好か。気にしてなかったけど、確かに俺はイラニドロの人達とは違う服を着ている。泥やらほつれやらで原型はよくわからないが。

俺はのんびり思考を巡らしていたが、ティリエはそれどころではなかったようだ。
「だ、誰が恋人よ!」
「そうか、そうだよねぇ。あんたにはロードという心に決めた男が…」
「その話はやめてって言ってるでしょ!?」
実に悲痛な叫びだ。このへんで勘弁してやろうと、メヤリは軽く謝って戻っていった。

「…もう」
「お前、恋人いるのか」
「いないわよっ」
むきになって言い返すティリエ。そんなに怒ってばかりいて、疲れないんだろうか。
「そんなに嫌な奴なのか?」
「嫌…っていうか、変。苦手なの」
前を向いたまま、ティリエは素っ気なく答えた。
ま、ティリエの恋人は犬でも猫でもいいとしよう。剣は売ったし、これからどこに行くんだ?

「よっ、姫様。ご機嫌いかが?」

俺が尋ねる前に、背後から別の声が飛んできた。
ティリエが世界で1番見たくなかったものを見たような顔で振り返る。
「最高よロード。あなたに会えたから。何の用?」
「誰だそいつ?」

ロードと呼ばれた男は俺を指差した。身長は遥かに俺やティリエより高く、背には長剣が収まっている。イラニドロの服装とは少し違った、制服のような格好をしていた。
「ただの旅人よ。偶然ここに寄ったみたいだったから、村を案内してたの」
「そうか。やあ、若い旅人君。俺はロード=セザルグ。ティリエの婚約者だ」

ロードはにこやかに俺に握手を求めた。横にいるティリエは真っ赤になっている。照れてるのかって?とんでもない、怒りで燃えてるんだ。
「いい加減にしなさいよ!殴るわよ本気で!」
「おいおい、言い出したのはそっちだろ?」
「いつの話よっ!!」
「喧嘩はよそうぜ。どのみち今夜は二人きりなんだ」
ティリエは言葉につまる。なんか事情があるみたいだな。

そんな彼女の様子を見て、ロードは満足げに笑う。
「そんじゃまた夜に。俺は見回りがあるからな。旅人君、ごゆっくり」
ロードにつられて俺は手を振った。
ティリエは何も言わないが、去っていく長剣使いをただただ睨みつけている。



くそ、あいつのせいでどこ行くんだ?なんて聞けない雰囲気になったじゃないか。
ティリエは怒ってるというよりは…ひたすら気まずい感じだ。苦手だって言ってたな。
「…今夜何があるんだ?」
「私とロードの結婚式って言ったら?」
「おめでとう」
「冗談じゃないわ」

やれやれ、冗談言ったのはそっちだろ。…ん?結婚式が冗談じゃない?冗談じゃないってことは本当なのか?冗談なのか?冷静に考えると訳が分からなくなるぞ。
「クルーガ狩りよ。最近妙に数が増えてきたから、減らしに行くの」
「罪もないのに?」
「増えすぎると森の食料じゃ足りなくなって、村を襲いに来るのよ。森の生態系も狂う。狩った後は生活に使ってるわ。毛皮は寒さに強いし、牙は装飾品になるし」

つまり猟みたいなもんだな。それをよそに売ったりもしてるんだろう。
「あいつと二人で行くのか?他の奴は手伝ってくれないのかよ」
「クルーガ狩りは若者の仕事なのよ。ここでは森で出くわすのなんて日常茶飯事だし、先月は私一人だったわ」
肝の座った女だな。
ティリエは細身で、剣を扱うようにはとても見えない。素手なんて考えも一瞬浮かんだが、それこそぶっ飛んでるよな。

前を向いていたティリエはちら、と俺を見た。
「あなたも来る?」
「え?」
素っ頓狂な声が出た。それはつまり狩りに招待してるってことか?
「この村に居座るのか出るのかは別としても、クルーガぐらいはどうにかできた方がいいわ。あなたはその練習になるし、狩りは人手が増えるし、一石二鳥じゃない?」
「二人きりの邪魔になるけど」
「それは今すぐ忘れて。で、来るの?来ないの?」
ふむ、見学ってのもありなのかな?
ちょっと腕を組んだ俺に、ティリエは目を細めた。
「怖いの?」
「わかったよ、行けばいいんだろ」

怖いかだって?
…怖いだろ。悪いか?お前にとってはただのクルーガなんだろうが、俺からしてみりゃ未知の生物なんだからな。
だが俺は芝居がうまかったみたいだ。何でもきやがれな表情を作ってみせると、ティリエは頼もしいわね、と零した。